フェニックス浜武です。
先週末のイベントを終え、チームとして2015-16シーズンのイベントをすべて終了しました。
※今週日曜日、豊橋市総合動植物公園(のんほいパーク)で行われる善意フェスティバルには、
日本人選手が参加します。
4度目の優勝には届かなかったものの、今シーズンフェニックスの一員として、
シーズンを全心全力で戦ってくれた選手、そして献身的にサポートしてくれたスタッフ、
本当に有難うございました。
また、一年間フェニックスを支えて頂いたスポンサー様はじめ、関係各社の皆様、
ご支援を有難うございました。
そして、今シーズンも選手やチームをその大きな声援で後押しして頂きましたブースター皆様、
浜松・東三河フェニックスとしては8年間という時間でしたが、皆様もその8年の中で
色々な出来事があったかと思います。
ご自身やご家族、周りの変化、そしてお子様の誕生や成長など、この8年間という時間は非常に長く、
そして濃いものであったかと思います。
何より浜松・東三河フェニックスというチーム、バスケットボールを通じて、地域や県境の垣根を越えて
交流して頂けた事は、フェニックスにとって本当に有難く思います。
この仕事をやっていて嬉しくなる時があります。
それは、ご家族やお子様との話題がフェニックス、ご友人や仲間の方々とフェニックスを通じて
繋がっている、とお言葉をいただいた時です。
勝負ですので勝ち負けはありますが、嬉しい時も、悲しい時も、時には怒りも、
そのきっかけがフェニックスと言う事が、8年前にプロ化し浜松・東三河フェニックスとして、
活動してきた成果でもあると思います。
浜松・東三河フェニックスとして8年間の歴史の中でたった3年しか経験していない私ですが、
その3年間でも色々な事を勉強させて頂きましたし、鍛えて頂きました。
bjリーグがなかったら、バスケットボールの面白さや魅力もこのように広がらなかったでしょう。
バスケットを通じた交流もなかったでしょう。
また、プロを目指す選手をはじめ、24チームスタッフの”仕事”も生まれなかったでしょう。
そして、私もこのような経験が出来ませんでした。
そういった意味でも、bjリーグとしての11年間は本当に素晴らしいものでしたし、
浜松・東三河フェニックスもbjリーグの一員として、育てて頂きました。
プロスポーツを通じ、人(自分)を育てる。 と言うことを実感した3年間でした。
秋からBリーグがスタートし、浜松・東三河フェニックスは、
三遠ネオフェニックスとして生まれ変わります。
ご支援頂いているスポンサー様や関係各社様が変化・進化されている中で、
フェニックスだけが現状のままと言うのは有り得ません。
フェニックスというチーム名で今年は51年目であり、Bリーグ元年。
三遠ネオフェニックスとしてチャレンジして行きたいと思います。
浜松・東三河フェニックスに対しまして、
熱い熱いご声援をいただき有難うございました!